宴の終焉

ひとつの時代が終わりを告げた。

永年にわたり世話になった居酒屋さんが店を閉めた。


前日の金曜日に通常の営業を終了し最終日となる昨夜は、いつも店に通っていた常連客達のみに案内を出して「ありがとうございましたNight☆」パーティが開催された。一階のカウンター席とテーブル席は、詰め込んで斜めに刺さる位の空間しか空きがない状態。

しばらく、店に顔を出していなかったせいもあって、昨夜会った方々からは、元気でしたか?と声をかけられた。もう、ここで知り合った常連さん達と会うことも無くなるんだな。飲もうと話ができたとしても、問題はどこで飲むかということになる。


私が転勤で東京に来たのが94年の11月。会社がこの町にあった時代、こちらの店にはランチを食べに通っていた。あの当時、週末の夜はちょっと離れた場所にあった焼き鳥屋で万年係長達と一升瓶の焼酎をお湯割で飲んでいた。こちらのお店は、給料が安かったので、高級店だったんだよなぁ。それから、仕事場が港区になったりして一人で飲みに行くようになって、同僚達や仕事関係の人たちと飲んで、大阪へ転勤して、たまに東京に来るときはこの店に寄って飲んでいた。東京に戻ってからリフレッシュ休暇で旅行した翌週に、隣席にいた同僚の自殺が発覚した晩に、当時の同僚と飲んだ後、女将のボンベイサファイアを夜中まで飲んで先代の社長に怒られたっけ。そんな思い出がある。


思えば、20年通ったお店だった。ワインをボトルで一本飲むようになったのもこの店だ。和食でワイン、クリスマスは和食! 誕生日には、板前さんにお願いしてカニ仕入れてもらって食べたねぇ。(大阪転勤時に覚えた冬のイベント日本海カニ宴会) お店が主催して、公園で花見をしたり川原でつりやバーベキューをしたね。仕事の関係ではない居酒屋の常連さんたちとのコミュニケーションがあった。よく馬鹿話をして盛り上がったね。


宴もたけなわであったが、二人の板前さんの挨拶と女将の挨拶で宴会も終わりを告げた。女将の挨拶から「お父ちゃんが作ったお店は終わりになりますが、がんばって何とか、この子供達が成人する頃にはカウンターでみんなで飲めるお店をやれたらいいな。」


何年先の話になるかわからんが、頑張ってもらいたいものだ。